松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅へ出発した地
『奥の細道へ』の旅のために芭蕉庵を引き払った後、出発まで松尾芭蕉が弟子鯉屋杉山杉風の別邸の庵に滞在していました。
庵は現在風の建物になっていますが、縁側に座っている芭蕉の銅像が可愛いです。隣が空いているので芭蕉と一緒に写真も撮ることができます。
採荼庵は、江戸時代中期の俳人杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵室です。杉風は、名前を市兵衛、または藤左衛門と称したほか、屋号を鯉屋(こいや)、俳号を採荼庵、五雲亭(ごうんてい)などとし、隠居したのちは一元(いちげん)と名乗りました。家業は魚問屋で鯉上納の幕府御用もつとめ、小田原町1丁目(中央区)に住んでいました。松尾芭蕉の門人でもあり蕉門十哲(しょうもんじゅってつ)に数えられ、『常盤屋句合(ときわくあわせ)』『角田川(すみだがわ)紀行』などの著作があります。また、芭蕉を経済的に支援したパトロンとしても知られています。
採荼庵があった場所については、杉風の娘婿である隨夢(ずいむ)の遺言状に「元木場平野町北角」と書かれています。平野町は、海辺橋南詰から万年町2丁目(深川1-8)をはさんだ1画でした。説明版が建っている海辺橋のたもとより140メートルほど南西に位置します。
芭蕉は奥の細道の旅に出る前、住居としていた芭蕉庵を手放し、しばらくは採荼庵で過ごしました。門人たちと別れを惜しんだのち、舟で隅田川をのぼり、千住大橋のたもとから奥州へと旅立っていきました。
(撮影日:2017年8月17日)
スポット詳細
名称 | 採荼庵跡(さいとあんあと) |
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住所 | 江東区深川1-11(海辺橋橋台地) |
アクセス | 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」A3出口徒歩6分 |
WEB | |
時間 | 自由 |
休み | なし |
料金 | 無料 *外観見学のみ |
所要時間 | 5~10分 |