鉄の井

鉄の井
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概要

「鉄の井(くろがねのい)」は、鎌倉十井のひとつに数えられる名水の地。
その名の由来は、かつてこの井戸から鉄製の観音像が掘り出されたことによると伝えられます。
現在は、観光客の往来が多い雪ノ下の一角に、往時を偲ぶ石碑が静かに立っています。
(撮影日:‎不明)

歴史的背景

鎌倉十井とは、鎌倉市内で名水として知られた十か所の井戸の総称です。
その中でも「鉄の井」は水質が清く甘美で、盛夏にも枯れることがないと伝わります。

この地は、鎌倉幕府有力御家人・安達泰盛(あだち やすもり)の邸宅「甘縄の邸」に隣接していました。
正嘉2年(1258年)、その邸宅から出火し、南風に煽られて鎌倉市街を焼き尽くす大火が発生しました。
『吾妻鏡』にもその惨状が記されています。

この火災の際、井戸の中に鉄製の観音像が埋もれ、後に掘り出されたことで「鉄の井」と呼ばれるようになったと伝えられます。
観音像はのちに近くの観音堂へ安置され、さらに明治初期に東京へ移されたといいます。

碑文・伝承

「鎌倉十井の1つで水質は清く、甘美で盛夏といえども枯れることはない。昔、この井戸の中より高さ五尺あまりの鉄観音が掘り出されたことにより鉄井と名づけられたという。
正嘉2年(1258年)1月12日の丑の刻に秋田城介康盛(安達泰盛のこと)の甘縄の邸宅より火災が起き、折からの南風にあおられて火は大蔵の薬師堂の後ろ山を越えて、寿福寺に至り、寺内の一堂も残すことなく焼き、さらに炎は新清水寺(しんせいせいじ)、窟堂、若宮の宝蔵と別当坊などを焼いたことが『吾妻鏡』に見えている。
この観音はその火にかかり土中に埋もれていたものを掘り出したもので、像は新清水寺の観音と伝え、後にこの井戸の西方の観音堂に安置されて置いたが、明治初年に東京に移ったという。

と言う内容が記載されている石碑があります。

現在は交通量の多い通りに面しており、落ち着いて眺めるには少し難しい場所ながら、鎌倉の水と信仰の歴史を今に伝える貴重な史跡です。

関連情報

関連人物 安達泰盛
関連時代 鎌倉時代中期(13世紀)
キーワード 鎌倉十井、甘縄の邸、吾妻鏡、大火、観音信仰

スポット詳細

名称 鉄の井(くろがねのい)
住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下1ー8-20
アクセス 横須賀線「鎌倉駅」から徒歩約10分
WEB なし
時間 自由
休み なし
料金 無料 *外観見学のみ
所要時間 5~10分
備考 鎌倉十井のひとつ・水汲み不可
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