護良親王墓

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概要

護良親王は、南北朝時代初期に活躍した後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府打倒の中心人物として知られます。
この墓は、親王が淵辺義博によって鎌倉で殺害された後、その亡骸を弔うために建てられたと伝わるものです。
鎌倉宮の南にある静寂な丘上にあり、今も静かにその冥福を祈る人が絶えません。
撮影日:2013年5月3日

歴史的背景

護良親王(1308–1335)は、建武新政を主導した後醍醐天皇の皇子であり、鎌倉幕府打倒の中心人物の一人でした。
討幕後は征夷大将軍に任ぜられますが、足利尊氏・直義兄弟と対立。やがて権力争いの渦中で捕らえられ、二階堂の東光寺(とうこうじ)に幽閉されます。

建武2年(1335)、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されます。
その後、首は藪に捨てられましたが、近隣の理智光寺の僧侶によって拾い上げられ、手厚く葬られたと伝えられます。

鎌倉幕府滅亡から南北朝動乱へと至る政権交代期の象徴的な地としても注目されます。

見どころ

護良親王墓所への長い階段


墓所へ向かう石段は、まさに「こんなの上がれるのかな」と思うほどの急な階段です。
しかし、2024年8月31日より新しい階段が整備され、手すり付きで一般公開が再開されました。
自然に包まれた参道は静かで、歩みを進めるほどに時代の重みを感じさせます。

護良親王墓所


頂上部の石垣に囲まれた一画に護良親王の墓所があります。
墓所は施錠されており、内部への立ち入りや参拝はできませんが、手前からでもその厳粛な空気を十分に感じ取ることができます。
苔むした石垣と木立の静けさが、700年前の悲劇を今に伝えています。

関連情報

関連人物 護良親王、足利直義、淵辺義博
関連時代 鎌倉時代後期〜南北朝時代
キーワード 建武新政、南朝勢力、討幕、理智光寺、鎌倉宮

スポット詳細

名称 護良親王墓(もりながしんのうのはか)
住所 神奈川県鎌倉市二階堂748
アクセス JR「鎌倉駅」から徒歩約30分(鎌倉宮から徒歩5分)
WEB なし
見学時間 自由
休み なし
料金 無料(外観見学のみ)
所要時間 約10〜30分
備考 なし
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