概要
鎌倉市扇ガ谷に残る、扇谷上杉家(上杉氏の一門)の屋敷跡と伝わる場所です。
鎌倉時代後期〜室町時代にかけて、関東の政治を支えた鎌倉管領上杉氏の本拠の一つです。
歴史的背景
鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)(1242–1274)が鎌倉に下向した際、従者として同行したのが藤原重房(ふじわらのしげふさ)でした。
重房はその功により、丹波国何鹿郡八田郷(現在の京都府綾部市上杉町・安国寺町付近)にあった上杉荘を与えられ、「上杉」を名乗るようになります。
その曾孫にあたる上杉憲顕(のりあき)は、鎌倉公方・足利基氏の執事として仕え、これを契機に上杉氏は鎌倉府の中枢を担うようになりました。
一族はやがて
・山内上杉家
・扇谷上杉家
・犬懸上杉家
・宅間上杉家
などに分かれ、広大な勢力を形成します。
扇谷上杉家の発展
重房から5代目の上杉顕定が扇谷上杉家の祖となり、その7代目にあたる上杉定正の代には、家宰の太田道真・道灌父子が川越城・江戸城を築くなど勢力を拡大しました。
この頃、山内上杉家と並び「両管領」と称されるほど繁栄しました。
その扇谷上杉家の鎌倉屋敷があったのが、現在のこの地です。
碑文(現地案内より)
鎌倉管領上杉氏の屋敷跡の史跡碑になります。
皇族で初めての征夷大将軍になった鎌倉幕府6代将軍宗尊親王(1242年-1274年)が鎌倉に下った際に従ってきた者の中に藤原重房がいました。重房はその時に丹波国上杉荘を拝領し上杉姓を名乗るようになりました。
重房の曾孫にあたる憲顕が鎌倉管領、足利基氏の執事となったことから大きな勢力をもつようになります。一族は数門(山内・犬懸・扇谷・宅間など)に分かれ、重房から5代目にあたる上杉顕定が扇ガ谷上杉家の祖となりました。
顕定から7代目の定正は扇谷家家宰の太田道真・道灌父子が川越城・江戸城を築城するなどして、扇谷家の勢力は大いに拡大しました。
山内上杉、扇谷上杉は両管領と呼ばれるほど繁栄しました。その扇谷上杉家の屋敷があった場所がここです。
関連情報
| 関連人物 | 上杉憲顕、上杉定正、太田道灌 |
|---|---|
| 関連時代 | 鎌倉時代後期〜室町時代 |
| キーワード | 鎌倉府、扇谷上杉家、管領屋敷、武士館跡 |
スポット詳細
| 名称 | 扇谷上杉管領屋敷跡(おうぎがやつうえすぎかんれいやしきあと) |
|---|---|
| 住所 | 鎌倉市扇ガ谷2-3 |
| アクセス | 横須賀線「鎌倉駅」下車、徒歩10分 |
| WEB | なし |
| 時間 | 自由 |
| 休み | なし |
| 料金 | 無料 *外観見学のみ |
| 所要時間 | 5~10分 |
