史跡– category –
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道灌橋之跡碑
(撮影日:2023年08月16日) 井草川を暗渠にした上に造られた井草川緑道と言う緑道を歩いていると「道灌橋之跡」と刻んだ高さ50cmぐらいのの石碑があります。 説明の看板がないため、「この碑は何?」と思いながら写真を撮影しました この石碑は1477年(文... -
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太田道灌像(東京国際フォーラム)
(撮影日:2023年09月10日) 東京国際フォーラム ガラス棟に設置されています太田道灌の狩り姿の立像です。旧江戸城(皇居)を向いているので、行きかう人々に背中を向いているため誰の銅像なのか分かり難いのが難点です。 銅像を中心に江戸城天守閣の模型... -
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護良親王墓
(撮影日:2013年05月03日) 護良親王は、北条時行が起こした中先代の乱の混乱の中で、1335年に足利直義の命を受けた淵辺義博によって鎌倉の東光寺で殺害されました。当時、護良親王の首は近くの藪に捨てられていましたが、理智光寺の住僧によって拾われ... -
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岩本町馬の水飲み広場
(撮影日:2022年01月22日) 玄武館・揺池塾跡の近くに位置する「岩本町馬の水飲み広場」は、江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送に欠かせない場所でした。 荷車を引く牛馬が水を飲むための場所として利用され、街道を往来する人々の休息の場として... -
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玄武館・揺池塾跡
(撮影日:2022年01月22日) 岩本町から東松下町周辺を散策した際に、北辰一刀流の創始者である千葉周作の道場跡を訪れました。 「玄武館」は、1822年(文政5年)に日本橋品川町に開設され、北辰一刀流の剣術を指南していました。その後、神田お玉が池(現在... -
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九品寺
(撮影日:2022年5月5日) 由来 九品(くほん)とは、九種類の往生のありさまのことをいいます。極楽往生を願う人々の生前の行いによって定めされます。上品、中品、下品のそれぞれに、上生、中生、下生があり、合わせて九品とされます。 1333年(元弘3年)... -
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八坂神社(9級社)
(撮影日:2022年9月10日) 由緒 創建月日は詳でないが、社記に依れば正長元年(1428)酉の大洪水に当時賀茂郡大見郷梅木村より、天王の御神体がこの地に漂着したのを奉祀したもので、明治6年(1873)8月31日村社に列せられ、昭和11(1936)年6月6日に神饌幣帛... -
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北条義時館跡(江間公園)
(撮影日:2022年9月10日) 江間公園は2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主役である北条義時の館があったと言われている場所です。 『増訂豆州志稿(ぞうていずしゅうしこう)』(明治21~28年刊)に、「北条義時ノ宅址ハ江間村町屋ニアリ、今尋常小学... -
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北條寺
(撮影日:2022年9月10日) 鎌倉幕府2代執権である北条義時が創建した寺院です。 義時の嫡子である安千代丸が大蛇に襲われ亡くなった時、北條寺を墓所として七堂伽藍を建立し、仏殿の本尊を慶派の仏師に命じて作らせたとされています。 承久の乱の3年後、... -
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染谷太郎大夫時忠邸跡碑
(撮影日:2020年12月5日) 碑文と意味 染谷太郎時忠ハ藤原鎌足ノ玄孫ニ當リ南都東大寺良辨僧正ノ父ニシテ文武天皇ノ御宇(皇紀一三五七~一三六二)ヨリ聖武天皇ノ神龜年中(皇紀一三八四~一三八八)ニ至ル間鎌倉ニ居住シ東八箇國ノ総追捕使トナリ東夷... -
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関取場跡
(撮影日:2022年5月3日) 金沢街道を「荏柄天神社 一之鳥居」に向かって歩くと関取場跡があります。 関取場跡碑の後ろにあるのは庚申塔で、正面に大きく「青面金剛」と刻まれており、慶応二年(1866)の銘があります。 碑文と意味 當所ヲ里俗せきばト稱... -
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足利公方邸舊蹟(足利公方邸旧蹟)
(撮影日:2022年5月3日) 金沢街道から小道を入ってすぐにあります。住宅街の中にあり、普通の家の敷地にあるので知らないとちょっと驚きます。 鎌倉時代から室町時代の『享徳の乱』の勃発前まで住んでいたと思うと足利氏を勉強している管理人としては凄...
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